昭和時代に流行したサラリーマン用語の変遷
「電話が入っています」「お茶を濁す」「根回しする」——こうした言葉を聞いて懐かしさを感じる方も多いのではないでしょうか。昭和時代のオフィスでは、独特のサラリーマン用語が飛び交っていました。これらの言葉は単なるコミュニケーションツールではなく、当時の社会背景や企業文化を映し出す鏡でもあったのです。
高度経済成長期に生まれた独特のビジネス言語
1955年から1973年のオイルショックまで続いた高度経済成長期。日本のGDPは年平均10%以上の成長を記録し、企業は急速に拡大していきました。この時代には「社畜」という言葉はまだなく、むしろ「社員は家族」という価値観が強く、そこから生まれた独特の言葉遣いがありました。

高度成長期の代表的サラリーマン用語
用語 | 意味 | 現代での言い換え |
---|---|---|
稟議(りんぎ) | 決裁のための社内文書 | 承認申請 |
根回し | 事前に関係者に説明して了解を得ること | 事前調整 |
一丁上がり | 仕事が完了したこと | 完了、終了 |
足を運ぶ | 直接訪問すること | 訪問する |
頭が高い | 目上の人に対して無礼なこと | 失礼である |
経済産業研究所の調査によれば、この時代の用語の特徴は「縦社会を反映した階層的表現」と「集団主義に基づく一体感を示す表現」が多かったことです。例えば、上司を「お偉いさん」と呼んだり、同僚を「戦友」と表現したりする言葉が日常的に使われていました。
バブル期特有の派手なビジネス用語
1980年代後半から1990年代初頭にかけての「バブル経済」の時代。株価と地価の高騰を背景に、企業活動は華やかさを増し、その雰囲気を反映した派手なビジネス用語も生まれました。
バブル期には「アッシー」「メッシー」「キャッシー」という言葉が流行しました。これはそれぞれ「足=車で送る」「飯=食事に連れていく」「金=お金を払う」の頭文字から来ており、若い女性が年上の男性に求めるものを表現していました。この時代のオフィスではこうした俗語も飛び交っていたのです。
「やる気」と「根性」を重視した表現

昭和のビジネス用語の特徴として「精神論」の色彩が強いことが挙げられます。「骨を折る」「血の滲むような努力」「汗と涙で築き上げる」といった表現に見られるように、肉体的な苦痛や忍耐を美徳とする価値観が言葉に反映されていました。
労働政策研究・研修機構の2018年の調査によると、昭和時代の新入社員研修で最も強調されていたのは「根性」と「忍耐力」だったことが分かっています。現代ではワークライフバランスやメンタルヘルスが重視されるようになり、こうした表現は徐々に使われなくなってきました。
階級社会を反映した呼称と敬語表現
「課長殿」「部長様」といった敬称や、「~君」「~くん」という目下の人への呼びかけは、昭和の縦社会を象徴する表現でした。また「ハイ、さようでございます」「かしこまりました」といった現代では少し大げさに感じる敬語表現も一般的でした。
日本語学者の金田一秀穂氏によれば、昭和時代の敬語は「相手との距離感を明確にする機能」を持っており、社内の上下関係を可視化する役割を果たしていたとのことです。現代では「さん」付けが基本になり、役職名での呼びかけも減少していますが、当時は階級を示す言葉遣いが日常的だったのです。
今では聞かなくなった昭和の定番ビジネスフレーズ
「明日までに机上に置いておいてください」「お噂はかねがね」「取り急ぎご連絡まで」——こうしたフレーズを最近のオフィスで耳にする機会は激減しています。デジタル化やグローバル化に伴い、ビジネス言語も大きく変化しました。かつて当たり前だった表現が、今や「レトロ」と呼ばれる時代になったのです。
オフィスでよく使われていた伝統的な決まり文句
昭和のオフィスには、状況ごとに使われる定番フレーズがありました。これらは単なる習慣を超えて、ビジネスマナーとして確立されていたものです。

会議や打ち合わせでの決まり文句
- 「一つよろしいでしょうか」(質問する時の前置き)
- 「恐れ入りますが」(依頼の前置き)
- 「申し訳ございませんが」(断りの前置き)
- 「ご多忙のところ恐縮ですが」(相手の時間を取ることへの配慮)
- 「取り計らいます」(対応することの表明)
総務省の「職場におけるコミュニケーション実態調査」(2015年)によると、こうした伝統的フレーズの使用頻度は40代以上と30代以下で大きな差があることが判明しています。特に「取り計らう」という表現は20代の76.5%が「使ったことがない」と回答しているのに対し、50代以上では82.3%が「日常的に使う」と答えています。
電話応対や来客時の独特な言い回し
昭和時代、電話と対面のコミュニケーションは業務の中心でした。そこには独自の言語文化が形成されていました。
電話応対の昭和フレーズ
- 「お電話替わりました」(電話を取り次いだ時)
- 「お電話が入っています」(電話がかかってきた時)
- 「お電話お待たせいたしました」(保留後の言葉)
- 「折り返しご連絡差し上げます」(後で電話する約束)
- 「恐れ入りますが、もう一度お願いできますでしょうか」(聞き返すとき)
NTTコミュニケーションズの「ビジネス電話用語の変遷調査」(2019年)では、これらの表現が平成以降に徐々に簡略化される傾向にあることが指摘されています。「お電話替わりました」が「かわりました」に、「折り返しご連絡差し上げます」が「後で電話します」といったように変化しているのです。
FAXと手紙の時代ならではの表現
電子メールが普及する前、ビジネス文書のやり取りはFAXや郵便が主流でした。そこには独特の表現が存在していました。
- 「謹啓」「敬具」(ビジネスレターの書き出しと結び)
- 「貴社益々ご清栄のこととお喜び申し上げます」(手紙の書き出し)
- 「FAX送信状」(FAXの表紙に記載)
- 「至急ご査収願います」(急ぎの書類に付記)
- 「ご高覧賜りたく」(資料を見てもらいたい時)
現代では「お世話になっております」という一言で済ませることが多くなりましたが、当時はこうした形式的な文言を省略することは「マナー違反」とみなされることもありました。
今聞くとクスッと笑える昭和の敬語表現

昭和時代のビジネス敬語の中には、現代の感覚からすると少し大げさに感じるものが少なくありません。
- 「〜でございましょうか」(「〜ですか」の過剰敬語版)
- 「ご足労願います」(来ていただくことへの感謝)
- 「ご賢察のほど」(理解を求める表現)
- 「お目にかかる」(会うことの丁寧表現)
- 「拝聴いたしました」(話を聞いたことの敬語)
明治大学の言語学研究室が2017年に実施した「過剰敬語に関する世代間認識差調査」では、こうした表現を20代の87.3%が「古くさい」と感じる一方、60代以上では56.2%が「丁寧で好ましい」と評価していることが明らかになっています。言葉の印象は世代によって大きく異なるのです。
令和の時代に復活・リバイバルしている昭和用語
一度は廃れたと思われた昭和のビジネス用語の中には、令和の時代に新たな形で息を吹き返しているものもあります。「ワークスタイル」という新しい文脈の中で、かつての言葉が再評価されている興味深い現象が起きているのです。
レトロブームで若者にも広がる昭和用語
「レトロ」「昭和レトロ」というキーワードが若者の間でブームとなっている昨今、ビジネス用語も例外ではありません。SNSなどでは「昭和のビジネスマン風」を真似た動画が人気を集め、そこで使われる用語が若い世代にも広がっています。
SNSで人気の昭和ビジネス用語
- 「窓際族」(重要な仕事を任されない社員)
- 「飛ばし社員」(出世コースから外れて地方支社へ転勤させられる)
- 「腰掛け社員」(すぐに辞めることを前提に就職すること)
- 「接待ゴルフ」(取引先との関係強化のためのゴルフ)
- 「ノルマ」(達成すべき販売目標など)
デジタルマーケティング会社のトレンドリサーチによる2023年の調査では、Z世代(1990年代後半〜2010年代前半生まれ)の62%が「昭和のビジネス文化に興味がある」と回答。特にテレビドラマやYouTubeで見た昭和サラリーマンの言動に「新鮮さ」を感じる若者が増えているとのことです。
ビジネス効率化の中で見直される昭和の知恵

働き方改革やDX(デジタルトランスフォーメーション)が進む中、皮肉にも昭和時代のいくつかのビジネス手法や表現が再評価されています。特に「人間関係構築」や「暗黙知の共有」に関する用語が注目を集めています。
ビジネス効率化の中で再評価されている昭和用語
- 「根回し」→「事前調整」として効率的な意思決定プロセスで再評価
- 「朝礼」→「モーニングミーティング」としてチーム意識向上に活用
- 「稟議」→「電子承認フロー」としてデジタル化されて復活
- 「職人気質」→「プロフェッショナリズム」として専門性の高さを表現
- 「営業かばん」→「ビジネスバッグ」としてビジネスファッションのアイコンに
日本生産性本部の「ワークスタイル変革と伝統的ビジネス手法の相関調査」(2022年)によれば、テレワークの普及に伴い「対面でないと伝わらない情報共有の工夫」として昭和的コミュニケーション手法が再評価されているケースが増えているそうです。
SNSで拡散される「昭和あるある」ビジネス用語
TwitterやInstagramでは「#昭和サラリーマンあるある」というハッシュタグで、昭和時代のビジネスシーンを懐かしむ投稿が人気を集めています。そこで取り上げられる用語は、時に揶揄の対象となりながらも、一種の文化遺産として受け継がれています。
- 「手土産」(訪問時に持っていく贈り物)→最近では「オンライン手土産」なども登場
- 「出張土産」(出張後に職場へ配る土産)→テレワーク時代にも意外と継続
- 「一本締め」(会の締めくくりの拍手)→オンライン飲み会でも実践される
- 「朝令暮改」(朝の指示が夕方には変わること)→リモートワークでより顕著に
- 「判子ハンコ」(書類への押印作業)→デジタル化の対極として語られる

メディア研究者の佐々木俊尚氏は著書『SNS時代のレトロコミュニケーション』で、「デジタル化が進むほど、アナログ時代のコミュニケーション様式がアイロニカルに参照される現象は興味深い」と指摘しています。
外資系企業との対比で再評価される日本的表現
グローバル化が進む中、日本企業の独自性を示す表現として昭和ビジネス用語が再注目されているケースもあります。
- 「おもてなし」→接客業やサービス業で国際的にも注目された概念
- 「以心伝心」→言葉にしなくても伝わる文化として再評価
- 「報連相」(報告・連絡・相談)→チームワークの基本として再注目
- 「三現主義」(現場・現物・現実)→現場重視の経営哲学として
- 「根回し」→合意形成プロセスとして海外でも研究対象に
経営コンサルタントの野口吉昭氏は「かつては古臭いとされた日本的経営の特徴が、VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代には適応力の高さとして再評価されている」と指摘します。実際、「稟議」や「朝礼」といった昭和的システムが、意思決定の透明性確保や組織の一体感醸成に有効との再評価が進んでいるそうです。
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