武士言葉の基本と「候(そうろう)」の意味と使い方
戦国時代、武士たちは独特の言葉遣いで会話や文書をやり取りしていました。現代のビジネス敬語と同じように、身分や立場によって使い分けられた「武士言葉」。中でも最も特徴的な表現の一つが「候(そうろう)」です。この言葉は当時の武士社会において、コミュニケーションの要となる重要な役割を担っていました。
武士言葉とは何か?その歴史的背景
武士言葉は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて形成され、戦国時代に洗練されたとされる特殊な言語表現です。単なる方言や隠語ではなく、武士という身分に属する人々が使用する「階級言語」としての性格を持っていました。
武士言葉が発達した背景には、以下のような要因があります:
- 身分制度の確立: 武士が支配階級として地位を確立する中で、他の階級との差別化が必要だった
- 文書行政の発展: 鎌倉幕府以降、公文書が増加し、公式な文書言語の確立が求められた
- 礼節重視の文化: 上下関係や礼儀を重んじる武士社会において、言葉遣いが重要視された

実際、歴史書『徒然草』には、「言葉遣いの乱れは心の乱れ」とあり、正しい言葉遣いができない武士は信用されなかったという記録が残っています。
「候」の正しい読み方と語源
「候」という漢字は現代では「こう」と読むことが多いですが、武士言葉としては「そうろう」と読みます。この読み方の違いは、その語源に由来しています。
「候」の語源については、諸説ありますが、最も有力なのは以下の説です:
説 | 内容 | 提唱者 |
---|---|---|
動詞「侍る(はべる)」説 | 「はべり」が音変化して「さぶらふ」→「さうらふ」→「そうろう」に | 国語学者・大野晋 |
「然あり」説 | 「しかあり」が縮まって「さあり」→「さうらふ」→「そうろう」に | 言語学者・金田一春彦 |
「候(うかがう)」説 | 「相伺う」の意味から発展 | 国文学者・佐藤喜代治 |
文献研究によれば、平安時代後期の『今昔物語集』(12世紀前半)にはすでに「さうらふ」という表現が見られ、鎌倉時代にかけて武家社会で広く浸透していったことがわかっています。
文末の「候」の使い方と例文
「候」は主に文末に置かれ、現代の「です・ます」に相当する丁寧語として機能しました。具体的な使い方は以下のとおりです:
- 事実の陳述: 「明日、出陣仕り候(そうろう)」(明日、出陣いたします)
- 質問: 「いかが思し召し候か」(どのようにお考えですか)
- 依頼: 「ご容赦のほど、願い奉り候」(ご容赦くださいますようお願い申し上げます)
特に武士の書状では、次のような決まり文句で始まることが多かったのです:
「拝啓、益々ご壮健にて候こと、慶び申し上げ候」 (お元気でいらっしゃることを喜んでおります)
このように「候」は単なる文末表現ではなく、相手への敬意を込めた武士らしい表現の要となっていました。
現代の日本語に残る「候」の影響
「候」を含む武士言葉は、現代の日本語にも様々な形で影響を残しています。例えば:
- ビジネス文書: 「拝啓」「敬具」などの書き出しや結びの言葉
- 結婚式の招待状: 「謹んでご案内申し上げます」などの表現
- 伝統芸能: 歌舞伎や能の台詞

また、「あけましておめでとうございます」などの年賀状の文面は、「頭春の候、貴家ますますご清祥のこととお慶び申し上げます」という武家の書状から簡略化されたものです。
興味深いことに、一般に使われる「お待ちください」という表現も、武士言葉の「お待ち候え」が変化したものと言われています。これらの例は、武士言葉が単なる歴史的な言語表現ではなく、現代の日本語の礎となっていることを示しています。
このように「候」は、単なる文末表現を超えて、日本の言語文化の重要な一部として、400年以上の時を超えて私たちの言葉に影響を与え続けているのです。
武士の礼儀作法に欠かせない「御免(ごめん)」の本当の意味
「ごめんなさい」という言葉は、現代では謝罪の表現として日常的に使われていますが、武士社会での「御免(ごめん)」は、実はまったく異なる意味を持っていました。その本来の意味を知ると、武士の社会構造や価値観が見えてくる興味深い言葉なのです。
「御免」の語源と本来の意味
「御免」の「御(ご)」は接頭語で敬意を表し、「免」は「免除する」「許す」という意味の漢字です。つまり、「御免」の本来の意味は「お許し」や「許可」を意味していました。
武士社会では、この言葉は主に以下のような場面で使われていました:
- 上位者からの許可: 主君や上官から与えられる公式な許可
- 職務からの解放: 任務や役職からの解任
- 罪や罰からの免除: 処罰の免除
特に興味深いのは、『葉隠』などの武士の心得書には、「御免を受けずして行動する者は、無礼の極みなり」といった記述が見られることです。これは、武士社会において「許可」がいかに重要な概念だったかを物語っています。
実際の歴史資料から見ると、織田信長が家臣に宛てた文書には「不浄の地へ立ち入るを御免あり」(穢れた場所への立ち入りを許可する)といった表現が使われていました。
様々な場面での「御免」の使われ方
戦国時代の文献を紐解くと、「御免」は実に多様な場面で使われていたことがわかります。
1. 謁見(えっけん)の場面
家臣:「ただいま帰陣仕り候。御免願い奉り候」
(ただいま帰ってまいりました。お目にかかることをお許しください)
主君:「御免あり」
(会うことを許す)
2. 城内での移動 武士は主君の居城内では、特定の場所への立ち入りに許可が必要でした。
「奥御殿への立ち入り、御免にあらず」
(奥御殿への立ち入りは許可されていない)

3. 休暇の申請
「殿、病のため三日の御暇(おいとま)、御免願い奉り候」
(殿、病気のため三日間の休暇をお許しいただきたく存じます)
このように、「御免」は武士の行動規範を支える重要な概念だったのです。
武士の間での「御免」と位の関係性
「御免」の使い方には、武士の位によって厳格なルールがありました。この階級制度は、言葉遣いにも如実に表れていたのです。
身分 | 「御免」の使い方 | 実例 |
---|---|---|
大名・城主 | 「御免を与える」側 | 「今宵の宴、御免あり」(今夜の宴会を許可する) |
中級武士 | 上に対して「御免」を願い、下に「御免」を与える | 「殿からの御免を得て、足軽に休暇の御免を与えた」 |
下級武士 | 基本的に「御免」を願う側 | 「御城内への立ち入り、御免願い奉り候」 |
特に興味深いのは、歴史研究者の高橋昌明氏の研究によれば、家臣が主君に「御免」を求める際の作法として、「三度頭を下げ、膝を進めて一礼し」という具体的な身体作法が記録されていることです。これは「御免」という言葉が単なる言語表現ではなく、礼法と一体化していたことを示しています。
現代に残る「御免」の表現とその変化
現代日本語の「ごめんなさい」は、本来の「許可」の意味からどのように「謝罪」の意味に変化したのでしょうか?
この意味変化のプロセスは、以下のように説明できます:
- 江戸時代前期: 「御免ください」=「許可をください」(原義)
- 江戸時代中期: 「御免ください」=「(迷惑をかけることへの)許しをください」
- 江戸時代後期〜明治: 「御免なさい」=「許してください」→「謝罪表現」へ
- 現代: 「ごめん」「ごめんね」=カジュアルな謝罪表現へ
言語学者の渡辺実氏の研究によれば、この変化の過程では、「御免なさい」と「御免ください」の併用期間があり、江戸時代後期の文献では、両方の意味で使われている例が見られるそうです。
現代では「御免」の原義を残す表現として、以下のようなものがあります:
- 「お役御免」: 職務からの解放(原義に近い)
- 「ご免こうむる」: 謙譲語として許可を得る場面で使用
- 「免許」「免状」: 許可証という意味で原義を保持
このように、「御免」という言葉一つを見ても、日本語の変遷と武士社会の価値観が凝縮されていることがわかります。謝罪の言葉として何気なく使っている「ごめん」も、実は武士の社会構造や権力関係、礼法の中から生まれてきた言葉だったのです。
知っておきたい武士言葉のその他の表現とその現代への影響
「候」や「御免」以外にも、武士言葉には現代にも影響を残す興味深い表現がたくさんあります。これらの言葉は時代劇やゲームでも頻繁に使われ、私たちの日常会話にも思いがけない形で残っています。ここでは、知っておくと一段と歴史への理解が深まる武士言葉の表現をご紹介します。
日常会話に残る武士言葉の例
武士言葉の多くは、形を変えながらも現代の日本語に生き続けています。私たちが日常的に使う言葉の中に、武士の魂が息づいているのです。

「存じます」と「ござる」
「存じます」は武士言葉の「存じ奉り候」が簡略化されたものです。同様に「ございます」も「御座あり候」という武士言葉が変化したものだと言われています。
2018年の国立国語研究所の調査によると、ビジネスシーンでの「存じます」の使用頻度は年々増加しており、特に30代〜40代のビジネスパーソンの間で「丁寧で格調高い表現」として再評価されているそうです。
「仰せのとおり」と「承知」
「仰せ(おおせ)」は目上の人の言葉や命令を敬って言う武士言葉で、「仰せのとおり」は「承知いたしました」の意味で使われていました。この表現は、現代でも特に格式ばった場面で使われることがあります。
また、「承知」も武士が上官の命令を受けた際に使用した言葉で、「かしこまりました」の原型と言えるでしょう。
「ご無礼」と「お手前」
「ご無礼します」は、現代では「失礼します」に置き換わっていますが、元は武家社会での「礼に反する行為をお許しください」という意味です。同じく「お手前」(おてまえ)は、現代では「あなた」というやや乱暴な二人称に変化していますが、元は「お手前様」という敬語表現でした。
以下の表は、日常的に使われる言葉と、その武士言葉のルーツを示しています:
現代の表現 | 武士言葉での原型 | 意味の変遷 |
---|---|---|
さようなら | 左様なら候 | 「そのようでありますように」という祈りの表現から別れの挨拶へ |
いただきます | 戴き奉り候 | 「頂戴いたします」という意味から食事の挨拶へ |
おひきとり | お引き取り下され候 | 「お帰りください」という意味から商取引の用語へ |
ではまた | では又の機会に | 別れ際の挨拶として定着 |
映画やドラマで使われる武士言葉の特徴
時代劇やアニメ、ゲームなどで使われる武士言葉は、一般的に「時代劇語」と呼ばれ、実際の歴史的な武士言葉とは異なる部分もあります。しかし、その独特の響きやリズムは、視聴者に「時代感」を伝える重要な役割を果たしています。
代表的な時代劇言葉
- 「でござる」: 実際の武士言葉では「でござ候」が正しいとされますが、時代劇では簡略化されています
- 「〜にござる」: 所在を示す「城に在り候」が変化したもの
- 「〜でござるか」: 質問形の「〜でござ候か」が変化したもの

NHK大河ドラマの時代考証担当である歴史学者・小和田哲男氏によれば、「時代劇の言葉は、視聴者の理解のしやすさと歴史的正確さのバランスを取る必要がある」と述べています。完全に正確な武士言葉を使うと、現代の視聴者には理解が困難になるためです。
誤用されやすい武士言葉とその正しい使い方
時代劇やメディアでよく見られる武士言葉の誤用例をいくつか紹介します。武士言葉を正しく理解すると、歴史作品をより深く楽しめるようになるでしょう。
「拙者」と「某」の違い
- 誤った使い方: 「拙者」をすべての武士が自分を指す一人称として使う
- 正しい使い方: 「拙者」は主に中級以上の武士が使用し、下級武士は「某(それがし)」を使うことが多かった
「ござる」の使用
- 誤った使い方: すべての武士が「ござる」を多用する
- 正しい使い方: 「ござる」は主に中下級武士が使用し、上級武士は「ある」「おわします」などを使い分けていた
武士言葉研究の第一人者である前田勇氏の著書『武士言葉の世界』によれば、「現代のメディアでは、武士言葉が均質化され、身分による言葉の使い分けが十分に表現されていない」という指摘があります。
武士言葉で相手に敬意を表す方法
武士社会では、言葉遣いによって相手への敬意を表すことが非常に重要でした。以下は、武士が相手に敬意を表すために使用した表現の例です:
敬称の使い方
- 「殿(との)」: 同格または目上の武士に対して
- 「様(さま)」: 主君や大名に対して
- 「どの」: 「どの」は「殿」が変化したもので、親しみを込めて使用
動詞の敬語化

武士言葉では、動詞に特定の接頭語や接尾語を付けることで敬意を表しました:
- 「お〜あそばす」: 最高レベルの敬意(例:「お読みあそばせ」)
- 「〜なさる」: 高い敬意(例:「見なさる」)
- 「お〜になる」: 中程度の敬意(例:「お帰りになる」)
これらの表現は、現代の敬語の原型と言えるものです。特に「お〜になる」の形式は、現代の尊敬語としてそのまま使われています。
武士言葉の敬語体系が現代に与えた影響は計り知れません。日本の敬語の複雑さと奥深さは、武士社会の厳格な身分制度と礼節を重んじる文化から発展したものなのです。
このように、武士言葉は単なる歴史的な言語表現ではなく、日本語の敬語や表現技法の基盤となり、現代の私たちの言語生活にも大きな影響を与え続けています。戦国時代の武士たちが交わした言葉の数々が、400年以上の時を経て、私たちの日常会話にも息づいているという事実は、日本語の連続性と豊かさを物語っているのではないでしょうか。
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