大正時代の言葉|「モダンガール」ってどんな意味?

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大正時代に生まれた「モダンガール」とは?その定義と時代背景

「モダンガール」—略して「モガ」と呼ばれた彼女たちは、大正から昭和初期にかけての日本社会に新風を巻き起こした女性たちでした。欧米の文化に影響を受けた洋装や洋風の髪型を取り入れ、カフェやダンスホールに足を運び、従来の女性像とは一線を画した新しい生き方を体現していました。では、なぜこの時代に「モダンガール」という存在が生まれたのでしょうか?

「モダン」という価値観が台頭した大正時代

大正時代(1912年~1926年)は、明治維新による西洋化の波が一般市民の生活レベルにまで浸透し始めた時代でした。第一次世界大戦後の好景気に伴い、都市部では中産階級が拡大。映画館やカフェーなどの娯楽施設が増え、「モダン」という言葉が流行語になりました。

特に1923年の関東大震災後の復興過程では、西洋風の建築様式が導入され、銀座などの繁華街は「モダン都市」として生まれ変わります。この「古いものから新しいものへ」という価値観の転換が、若い女性たちの意識や行動様式にも大きな影響を与えました。

モダンの象徴となった場所:

  • カフェー – 女給(女性店員)として働く若い女性が増加
  • 百貨店 – 婦人服売り場や化粧品コーナーで働く女性たち
  • オフィス – タイピストや電話交換手として働く「職業婦人」の登場

海外からの影響と日本での独自の発展

欧米の「フラッパー」との共通点と相違点

日本のモダンガールは、欧米の「フラッパー」と呼ばれた新しいタイプの女性たちから影響を受けていました。両者の共通点としては:

特徴フラッパーモダンガール
髪型ボブカット断髪
服装膝丈のドレス洋装(和服の場合も洋風アレンジ)
行動ジャズを聴き、踊るカフェで働き、映画を見る
意識性的解放、自由の追求新しい女性像の模索

しかし、重要な違いもありました。欧米のフラッパーが第一次世界大戦の反動として徹底的な享楽主義を追求したのに対し、日本のモダンガールは経済的自立と教養を重視する傾向がありました。また、日本社会の保守的な価値観との間で葛藤を抱えながらも、独自の立ち位置を確立していきました。

日本の伝統文化との融合

モダンガールは単に西洋文化を模倣しただけではなく、日本の伝統と西洋の新しさを融合させた独自のスタイルを生み出していました。例えば:

  • ファッション面では、モダンな洋装に和柄の要素を取り入れたり、和装に洋風のアクセサリーを合わせるスタイル
  • 言葉遣いでは、伝統的な女性言葉に外来語を織り交ぜた独特の話し方
  • 生活様式では、洋風の生活を取り入れつつも、日本的な季節感や美意識を大切にする姿勢

「モダン」という概念はただの流行ではなく、新旧の価値観の共存や葛藤を含んだ複雑な文化現象でした。そして、その最前線に立っていたのが「モダンガール」たちだったのです。彼女たちは、単なる西洋かぶれではなく、伝統と革新の間に自分たちの居場所を見つけようとした先駆者たちだったと言えるでしょう。

モダンガールが象徴した女性の自立と新しいファッション革命

大正から昭和初期にかけて台頭したモダンガールたちは、単なるファッションアイコンではなく、女性の社会進出と自立の象徴でもありました。彼女たちは経済的自立を重視し、自らの選択で人生を切り開こうとする姿勢を持っていました。そして、その生き方は彼女たちの身にまとうファッションにも如実に表れていたのです。

職業選択の幅が広がった大正時代の女性たち

大正時代には、女性の職業選択の幅が飛躍的に広がりました。1920年代には「職業婦人」という言葉が生まれ、自分の力で生計を立てる女性たちが増えていきました。

モダンガールたちが選んだ主な職業:

  • タイピスト・速記者 – 文字を扱う専門職として高い地位を確立
  • 女給(カフェの女性店員) – 高収入を得られる人気の職業に
  • デパートガール – 百貨店の販売員として働く若い女性たち
  • 電話交換手 – 新しい通信技術を支える女性労働者
  • 教師・看護師 – 伝統的な女性の職業も近代化

特に注目すべきは、これらの職業が単なる生活の糧だけでなく、「自分らしさ」を表現する手段となっていたことです。例えば、当時の雑誌『婦人公論』には、「カフェで働くことで自分の個性を発揮できる」と語る女給の声が掲載されていました。

彼女たちの収入は、当時の若い男性工場労働者の1.5倍から2倍に達することもあり、経済的自立の基盤となりました。この経済力が、彼女たちのファッションや消費行動を支える原動力となったのです。

モダンガールのファッションアイコン

断髪・洋装・ハイヒール – 新しい美の基準

モダンガールのファッションで最も目を引いたのは、何と言っても「断髪」でした。伝統的に長い髪は女性の美しさの象徴とされてきた日本において、髪を短く切るという行為は、単なるスタイルの変化以上の意味を持っていました。

断髪の社会的意味:

  • 旧来の女性像からの脱却
  • 行動の自由の獲得(長い髪の手入れからの解放)
  • 西洋的な「モダン」への憧れの表現

洋装も彼女たちのアイデンティティを形作る重要な要素でした。和服に比べて動きやすい洋服は、活動的な生活スタイルに適していただけでなく、新しい時代の女性像を体現するものでした。

モダンガールに人気だったアイテム:

  • フラッパースタイルのストレートなワンピース
  • ハイウエストのスカート
  • シルクのストッキング
  • ラクーンコート(アライグマの毛皮のコート)
  • ハイヒール(当時は「背高靴」と呼ばれた)

アクセサリーや化粧品の普及と消費文化

モダンガールたちは、化粧品やアクセサリーなどの消費文化の担い手でもありました。大正時代には、クラブ化粧品やレート化粧品など国産の化粧品メーカーが台頭し、モダンガール向けの広告を積極的に展開しました。

人気だった化粧アイテム:

  • 白粉(おしろい)
  • 口紅(当時は「紅」と呼ばれた)
  • アイシャドウ
  • 香水

これらの化粧品は単に美しくなるためのものではなく、自己表現の手段でもありました。雑誌『婦人画報』の1925年の記事には、「化粧は自分自身を表現する芸術である」という言葉が記されています。

また、アクセサリーも重要なファッションアイテムでした。腕時計やイヤリング、ブローチなどを身につけることで、モダンガールたちは自分のスタイルを完成させていきました。

モダンガールのファッションは、単なる見た目の変化ではなく、生き方の変化、社会の変化を反映したものでした。彼女たちのスタイル革命は、日本の女性たちが自分自身の選択で人生を切り開いていくという新しい時代の幕開けを象徴していたのです。

「モガ」と呼ばれた彼女たちの功績と現代に残る影響

「モガ」の愛称で親しまれたモダンガールたちは、当時の社会から様々な反応を引き起こしました。称賛と批判の両方を浴びながらも、彼女たちは日本の女性史に大きな足跡を残しました。今回は、モガたちが直面した困難と、彼女たちの遺産が現代にどのように引き継がれているかを掘り下げていきましょう。

モガへの批判とそれを乗り越えた強さ

モダンガールたちは、その斬新なライフスタイルゆえに厳しい批判にさらされることも少なくありませんでした。特に保守的な立場からは、「不道徳」「軽薄」といった批判が浴びせられました。

モガに向けられた主な批判:

  • 伝統的価値観からの逸脱 – 「良妻賢母」の理想から外れているという批判
  • 西洋かぶれ – 日本の伝統を軽視していると見なされた
  • 華美な消費行動 – 贅沢や浪費を助長するという批判
  • 性的解放への懸念 – 自由な恋愛観に対する道徳的批判

特に1930年代に入り、軍国主義の風潮が強まるにつれて、「モガ」への風当たりは一層強くなりました。「ぜいたくは敵だ」というスローガンのもと、シンプルな和服の着用が奨励され、モダンガールのファッションは「非国民的」とさえ批判されるようになりました。

しかし、そうした批判にもめげず、多くのモダンガールたちは自分の生き方を貫き通しました。作家の林芙美子や平林たい子など、モダンガールとして出発し、後に文学界で成功を収めた女性たちもいました。彼女たちは批判を受け流すしなやかな強さを持ち、自分の道を切り開いていったのです。

現代のファッションやライフスタイルに残るモガの影響

平成・令和の「新モダンガール」現象

時は流れて平成、そして令和の時代。モダンガールの精神は形を変えながらも、現代の日本女性に受け継がれています。

現代に見られるモガの影響:

  • ファッションの多様性 – 自分らしさを表現するためのファッションという考え方
  • 働く女性のスタイル – 機能性とファッション性を両立させる発想
  • 消費文化のリーダー – トレンドを生み出す女性消費者の存在感

2010年代以降、「ニューモダンガール」という言葉も登場しました。これは伝統的な価値観と革新的なライフスタイルを独自に融合させた現代女性を指しています。例えば、キャリアを追求しながらも茶道や華道などの日本文化を学び、グローバルな視点と日本のアイデンティティを両立させる女性たちです。

雑誌『VOGUE JAPAN』の2018年の特集では、「100年前のモダンガールと現代の女性たちには、自分の生き方を自分で選ぶという共通点がある」と指摘されています。時代は変わっても、自分らしさを追求するという姿勢は、モガたちから受け継がれた大切な遺産と言えるでしょう。

日本女性の歴史におけるモダンガールの位置づけ

歴史的に見ると、モダンガールの登場は日本の女性解放運動の重要な一章でした。明治時代の女権拡張運動、大正時代の「新しい女」の思想的活動に続いて、モダンガールたちは日常生活のレベルでの女性解放を体現していました。

日本女性の歴史におけるモダンガールの貢献:

  • 女性の経済的自立のモデル を示した
  • 従来のジェンダー規範に挑戦 し、新しい可能性を開いた
  • 消費者としての女性の力 を社会に認識させた
  • ファッションを通じた自己表現 の重要性を広めた

こうしたモダンガールの貢献は、戦後の女性解放運動や、1970年代以降のフェミニズム運動にも少なからぬ影響を与えました。当時は「軽薄」と批判されたモダンガールたちの生き方が、実は日本社会の変革の重要な一歩だったことが、今日では歴史的に評価されています。

現代の私たちがカフェでおしゃれな服を着てコーヒーを飲む何気ない日常も、100年前のモダンガールたちが切り開いた道があったからこそ可能になった光景なのかもしれません。彼女たちの遺産は、私たちの日常に静かに、しかし確かに息づいているのです。

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